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20050910

三級試験の宿題原稿

2.修行の心得
「なぜ私は少林寺拳法を修行しているのか。」修行における八つの心得のうち、筆頭に置かれるのが修行の目的を確立させることです。それというのも、人は明確な目的がなければ積極的な行動ができないものだからです。ただ闇雲に修行してもそれは意味を持ちません。
二つ目の心得としてあげられるのが、修行の順序です。少林寺拳法は技術的要素が多く、その一つ一つを確実に体に定着させていくことによって、更に高度な技を習得することが出来るようになるのです。
三つ目の心得は、基本を学ぶことです。何をするにしても基本は土台となります。基本の上に多くの技が成り立っているため、基本技、基本形を無視して修行をしても効果はなく、上達もしません。基本を身につければ、自然と身体が動くようになり、一層早く上達、発展していくのです。
 四つ目の心得は、理を知ることです。少林寺拳法は、系統だった組織と、科学的な原理に基づいて構成されているので、技と共にその理を学び修練することで、上達が一段と早くなります。
 五つ目の心得は、数をかけることです。上達には努力と忍耐が不可欠であり、何度も根気強く基本に忠実にやることが上達の第一条件です。
 六つ目の心得は、修行を片寄らせないことです。少林寺拳法は剛柔一体であり、拳禅一如の方です。剛・柔の一方に片寄らず、技だけでなく精神面の修養に努め、技術、人格共に向上するよう努めなければならないのです。
 七つ目の心得は、体力に応じて修行することです。苦行のような修練ではなく、体力に応じて技を、術を楽しみながら行えるような、厳しいながらも楽しい無理のない修行の在り方が望まれます。
 八つ目の心得は、永続して行うことです。高度な技術と広く深い内容を併せ持つ少林寺拳法は、多少の困難があっても継続して修練することに意義があります。

3.当身の五要素
 各種の当身を効果的に行うための必須の要件が当身の五要素です。当身の五要素とは急所の位置・当身の間合・当身の角度・当身の速度・当身の虚実の五つであり、そのどれか一つが欠けても効果は弱まります。
 身体の多くに存在する急所ですが、そこに当たらなければ効果はありません。まず急所が何処なのかを押さえ、当てることが第一といえるでしょう。
 一動作で相手に有効な打撃を与えられる距離を当身の間合といいます。いかに力が強くとも、急所を的確に狙った攻撃でも、間合が足りなければその攻撃は無効となってしまいます。普段の練習から適切な間合を身につけなければなりません。
 次に、当身の角度ですが、急所を狙って当てることが出来たとしても、押圧の角度によって効果はまた違ってきます。急所ごとによってその角度も違うため、それぞれの有効な角度を知ることが大切です。
 当身の速度は、速ければ拳の硬さや筋力を補うことが出来ます。有効な当身をするならば、まず速度を増す練習から行うのが効果的です。
 最後に当身の虚実ですが、「虚実」は肉体的な虚実と精神的虚実をいいます。肉体的な虚には体勢に表れる隙や崩れの体勢の虚と、身体の力がぬけた状態のことを言う体質の虚の二つがあります。精神的な虚は油断している状態を指し。「虚」は肉体的、精神的に油断している状態を言います。「実」は反対に集中力が高まっている状態のことです。相手の虚を自分が実の状態でつくことが重要になります。
 この五要素が揃って、当身は有効なものとなるのです。

4.拳の三要
 「拳の三要」とは、「技・術・略」です。技術を学ぶにあたって、最も肝心な点です。まず基本となるものを知り、組み合わせ方や用法を学び、最後に自分の知恵でもって各自にあった境地を見つけることが大切なのです。
 「技」とは身体と手足を用いる動作で、基本となる正しい業を習得することが次の「術」に進むために重要となります。しっかり会得しないまま先に進んでも、意味はありません。
 「術」とは「技」の活用法で、習得した「技」の効果的な使用法を学び、考えることが必要になります。使い方、組み合わせ方によって技はその効果の度合いを上げることが出来ます。それから最終的に「略」に進みます。
 「略」とはわざと術を効果的に使うためにまとめ、おさめる「知略」の事を指します。目的によって、自分の置かれた状況を判断し、自分の出来ること出来ないことの条件の中で、手段を決め、行動をする。この「知略」がなければいくら「技」と「術」を身につけていても、多数の敵を倒すことは出来ません。
 実際の運用においては、修練とは逆の「略、術、技」の順で対応します。どれか一つのものに秀でていても、全体を習得できていなければ、決して正しい境地に到達することは出来ません。学び、会得するためには拳の三要は重要なものなのです。

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【カテゴリ:雑記】
【コメント】

1.少林寺拳法の創始の動機と目的
少林寺拳法は昭和二十二年に開祖・宗 道臣により創始されました。敗戦の年、中国に居た開祖は、国際政治の厳しい現実を目の当たりにし、その中で「すべての物事は影響ある立場に立つ者の人の質による」、つまり「人、人、人、すべては人の質にある」と悟ったのでした。
帰国した開祖が日本で見たのは、敗戦した祖国の姿でした。社会は荒れ、人々の関係は悪化し、国民の大多数が将来の希望を見出せずに居ました。そこで開祖は平和な世の中を作るためには「慈悲芯と勇気と正義感の強い人間を一人でも多く育てること以外にはない」と考え、中国で学んだ拳技を整理再編し、更に創意工夫を加えることによって新たな技術体系を作りあげたのです。道場を開き、拳法を広めるだけでなく、人生観や世界観を説いていったのです。身体的だけでなく、人の心、その人自身ん人づくりが始まったのでした。ここで開祖が目指したのは、ただ単に腕力の強い人や技の上手な人ではなく、健康な肉体と不屈の勇気、円満な人格を得て、幸福な人生を送れるように、そして同時に平和で豊かな社会を実現するために、積極的に行動していけるような人物、つまり真のリーダー育成でした。人間の心身の改造と平和的手段による社会変革を目指し、「少林寺拳法による人づくり」と「理想境建設」を目的として、開祖は少林寺拳法を創始したのです。

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